肌勢健二

STAND OUT(スタンドアウト)〜際だつ異才経営者たちの真実の過去から見えるもの

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有限会社ダイドープロアクティブ社長肌勢健二インタビュー2

「オヤジとの関係は最悪でしたね・・。」肌勢は昔を思い出し苦笑いで言った。

肌勢健二、1975年、東京都八王子に生誕。当時世間はパチンコブームの真っ只中、父はパチンコ玉や販促グッズなどをホールに卸す仕事をしていた。
「パチンコ玉なら肌勢さんに頼め!」
父はその業界ではでは知られた存在だった。

経営者として家庭をかえりみず忙しい日々を過ごす父は毎日、朝早くから夜遅くまで働いていた。裕福な家庭ではある反面、幼いながら寂しさが募っていった。

小さい頃の父との思い出は・・「 ない。」さえぎるように肌勢は言った。

中学校にあがる頃、肌勢はバスケットを始める。1つ上の兄の影響だ。兄は東京都の選抜チームに選ばれる程の腕前。地元では名の知れた選手だった。

父は、兄の試合は毎回欠かさず見に来た。嬉しそうに兄の名前を呼び応援していた。

しかし、 肌勢の試合は・・一度も見に来ることはなかった。
寂しかった。行き場のない憤り・・。多感な思春期の肌勢には耐え難いものだった。

そして、タバコにケンカ・・パチンコもこの頃覚えたという。
たどり着いた先は・・停学。

しかもこれで2回目。選択枝は自主退学か、無期停学しか残されていなかった・・。

学校までは電車に乗って1時間の道のり。その道のりを父と二人で過ごした。停学に関して父には殴られ散々怒鳴られた。

でも肌勢は・・嬉しかった。
自分に見向きもしてくれなかった父を学校までのたったの1時間・・
たったの1時間だけでも独占できたことが嬉しくて仕方なかった。
停学の代償に手に入れたもの・・父との思い出。

高校卒業後、肌勢はすぐに家を出た。
「早く一人立ちしてオヤジに認められたい!」
そんな気持ちもあったという・・。

まずホームセンター店員、卸売り市場の売り子、職人として汗水垂らし、時に泥にまみれて働いたこともあった。
売り子、トラックの運転手、ありとあらゆる仕事をした。

そして・・23歳の春・・。受話器から聞こえるのは懐かしい声・・。
「ちょっとうちの会社を手伝ってくれないか?」

久しぶりの父からの電話だった。
23歳の春、肌勢は父の会社で働き出す。

数年後にどん底生活が待っているとも知らずに・・。

>>インタビュー3へ続く

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有限会社ダイドープロアクティブ 代表取締役社長 肌勢健二

肌勢健二パーソナルプロフィール
有限会社ダイドープロアクティブ 代表取締役社長 肌勢健二

1975年、東京都にて生誕。
経営者の父を持ち裕福に育った反面、親を困らせた事も多かったと言う。
学生時代には何度も学校に呼び出され、2回目の停学の時には自主退学か、無期停学を迫られる。
どうにか高校を卒業した後、ホームセンター店員、卸売り市場の売り子、職人、トラック運転手などありとあらゆる業種を経験する。
1998年、23歳の時に一度は父の会社に就職するが、6年後、独立し有限会社ダイドープロアクティブを設立。
現在は、経営者の傍らビジネスコーチの資格を取得し、プロコーチとしても活躍中。

有限会社ダイドープロアクティブ有限会社ダイドープロアクティブ
本社所在地 東京都八王子市大塚621-1-103
事業内容 ・投資
・購買代理業務
・コンサルタント業務
・派遣業務

経営理念 お客様の事業の繁栄と幸せの実現に
お役に立てる商品とサービスを提供します。


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